ハナラボの角です。Twitterプチ炎上事件ですっかり調子が狂ってしまいましたが、一日遅れの月曜日の連載「ハナラボStory!」の7回目。今日は「ハナジョブの構想が生まれた日」について。
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vol.01〜06まで、学生時代〜社会人を急ぎ足で綴ってきました。端折りすぎたので、またそのうち追記したいと思います。伝えたかったのは、最初から今のハナラボがあったわけではなく、経験の積み重ねや人との出会いから生まれたものだということでした。ハナジョブが生まれるまでにも、それはそれは色々な事件がありました。でも、それは追々お話しすることにします(だって長くなりすぎちゃうから!)。
武蔵野美術大学を卒業した日、家の階段に座って考えていました。これから、私がすべきことはなんだろう?Webデザイナーとして、請け負い仕事をすること?もちろん、これまでの私よりもずっといい仕事ができると思う。でも、待てよ・・・と。どこから声が聞こえてきました。
10代から「女性の生き方、働き方」に対して問題意識を持っていた私ですが、実は美大在学中に、のちに大きな影響を及ぼす出来事がありました。ちょうどその頃、女子大時代の友人が母校で講師をしていまして、「卒業生と在校生が語る会」をやろうと声をかけてくれたのです。卒業生のパネルディスカッションのあと、卒業生と在校生が語り合うというイベント。これ、実はハナジョブの女子会の原型でもあります。
その当時、私は女子大生と接点がなく「今の女子大生って、どんなこと考えてるのかなあ?まあ、ちょっと葉っぱかけてやるか!」くらいの軽い気持ちで参加しました。パネルディスカッションに参加したのは、4人の卒業生でした。全員同級生で、一人は専業主婦、一人は独身でいわゆるバリキャリ、一人は育児しながら共働き、もう一人はわたしという、多様な面々。けれど、その多様さは、想像していたものとは違っていました。専業主婦の友人は子どもの障害と向き合い、共働きの友人は夫が兼業主夫となり大黒柱に・・・専業主婦、共働き家庭といっても、一括りにはできないし、人生には何があるかわからない。年齢を重ねるごとに、その想いは強くなります。
一方で、女子大生たちの悩みは、私たちが大学生の頃と全く変わっていなかったのです。「一般職と総合職どっちがいいですか?」え、この時代にまだそれですか?と思ったことを覚えています。大学は時間が止まっているのかと。時代の変化とはまるで無関係に、時間が流れているようでした。今でもそれはあまり変わりません。変わっていないわけではないけれど、女子大生の意識の変化はものすごくゆっくりです。
なんだってやろうと思えばできるのに。色んな可能性があるのに。仕事を辞めて家庭に入った友人たちと重ねあわせながら、どうにか彼女たちの力になれないだろうか。そこから、私の模索が始まりました。
でも、美大の在学中にはそれをカタチにすることはできませんでした。何度も挑戦したけれど、うまく行かなかった。それが、卒業式の日に「それ、できるんじゃないの?」と内なる声が囁きました。「女性の生き方、働き方」をテーマにメディアを作れるんじゃない?ターゲットは女子大生だね。ほら、女子大生たちの可能性を広げるようなメディアを作れるんじゃない?
・・・ちょっと事実と違うところもあるかもしれませんが(笑)、おおよそこんな形で「ハナジョブ」の構想は降りてきました。降りてきた、という表現しか思いつかないんです。それまでの積み重ねが全部繋がって、降りてきた・・・もしくは、自然と内から湧いてきたのでした。
具体的な内容も、どうやってビジネスにするかも、まったくわからない。ただ、私はそれを作るべきなんだ。それが私の使命なんだと、そう思った瞬間でした。