ハナラボの角です。今日は、西村佳哲さんの「かかわり方のまなび方」を読んで感じたことを書こうと思います。
お会いしたことはないのですが、西村さんのことはずーっと気になっていました。「ワークショップ」とか「働き方」という文脈で耳にすることが多い西村さんですが、デザイナーでもあります(肩書にはプランニングディレクターとありますね)。私が西村さんの仕事に初めての出会ったのは、2002年のサウンドバム(Sound Bum)の展示でした。世界の、いろいろな営みの音を聞くことができるという展示です。
サウンドバムのWebサイトにはこう書かれています。「サウンドバムは、音の旅を意味する造語。このプロジェクトは1999年から、世界各地へ音を楽しむ旅に出かけています。ジャングルの奥でも都会の街角でも、音の豊かさはそれぞれの場所の営みや、美しさ、楽しさをそのまま映しだしています。世界にじっと耳を澄ませるような、充実した旅の時間です。」
実は、武蔵野美術大学での私の卒業制作は「東京の音」がテーマでした。「東京のまちを歩いていると、大量の情報が目に入ってくる。目に見える情報を排除して「音」だけで東京を感じてみたら、どんなことが見えてくるのだろう。」と。卒業したのは2007年なのでサウンドバムから5年が経っていたのですが、卒業制作のヒントになったことは間違いありません。
そして再び、私は西村さんに出会います。「ワークショップ」や「働き方」という文脈で。でも、なかなか本を読むきっかけがなく、存在だけが気になっていました。そして、とうとう手に取ったのが「かかわり方のまなび方」です。
本に書かれていたことは、「ワークショップ」に対する違和感と、それを丁寧に解きほぐしていく西村さんの姿でした。 ワークショップは「人とのかかわり方」。だから「かかわり方のまなび方」というタイトルなんですね。
西村さんが書かれていた違和感は、そのまま私自身が感じていたことでもありました。でも、私はそれに対して、いい加減に対処していました。違和感を持ちながらも、一般の人が受け入れやすい言葉を使ってしまったり、本当にしっくりくる表現を突き詰めて考えていなかった。一つ、特にハッとした言葉が「引き出す」という言葉です。
「少なくとも『引き出す』という言葉の主体は当の本人でなく、言葉どおり引き出す側にある」
西村さんが主催したフォーラムで「引き出す」という表現を使っていたのですが、ある人から「引き出す」ではなく「溢れ出す」ではないか、引き出すという言葉は恣意的じゃないかという指摘をされたと書かれています。
書き出すときりがないのですが、とても大切なことを置き去りにしてきてしまったような気がして、心がざわざわしています。時間はかかるかもしれないけれど、焦らず丁寧につくる。ハナラボとして、それを大切にしていこうと思います。