クリエイティブで華やかなイメージがあるCM業界。 しかしそこにある種の違和感を抱き、ソーシャルな映像活動を始め、現在はCMディレクター、Interviewers、PVプロボノと複数のフィールドを往来している新井博子さんにインタビューをしてきました。(学生記者:おかみゆ)
―CMディレクターになった経緯を教えてください。
女子美術大学を出て、株式会社パラゴンというCMプロダクションに入社しました。私がCMプロダクションに興味を持ったきっかけは、大学の1つ上の代にCMプロダクションばかりを受けている先輩がいたからです。その先輩はCMがいかに楽しいものかを、なぜか私にひたすら説いてくれました(笑)。それで、いざ自分が就職することを考えた時にCM業界を受けてみようと思いました。
入社して初めはプロダクションマネージャーという、そのまま続けていくとプロデューサー(制作全体を統括する人。予算調整や管理、スタッフの人事など。)になれる職に就いたのですが、どうしてもディレクター(制作物の作品としての責任を持つ人。企画から制作に関与して業務全般を司る。)がやりたくて、4年後に企画演出部という部署に移りました。そうしてCMディレクターを始めてから160本くらいの作品をつくっています。その10年後には会社を辞めて、フリーランスになりました。もちろん不安な気持ちも少しありましたが、この業界ではある程度の経験を積むと会社を辞めて独立するという流れがあったので、私にとってフリーになることはとても自然な流れでした。
とにかく絵が描きたいから、油絵科へ
―小さい頃から映像に興味があったのでしょうか。
小さい頃は絵ばかり描いている子どもでした。とにかく絵が大好きで、ひたすら描いていましたね。だから絵だけは勉強しなくてもできました(笑)。女子美術大学の付属校へ進学して、放課後はアトリエに通ってずっと絵を描いていました。大学の進路についても、就職のことを考える人はデザイン科を選ぶ傾向があるのですが、私はとにかく絵を描きたかったので油絵科へと進みました。
ただ絵の道で食べていこうとは全く考えていなくて、就職活動の時に絵のことはスパッと捨ててしまいました。絵を描くことが大好きでずっとここまできたのに、なんだか不思議ですね。
広告業界の商業映像が私のすべてでした
―ソーシャルな映像活動を始めるきっかけは何だったのでしょうか。
3.11の東日本大震災をきっかけに私自身マインドシフトしていきました。テレビのオンエアで、全ての CMがストップしたことが大きなきっかけですね。ACの広告が繰り返し流れていたのをみなさん覚えていると思います。それまでは広告の商業映像が私の世界のすべてで、そこにやりがいもあって、満足感もありました。しかし震災を機に、これだけじゃいけないという強い思いが湧いてきました。なぜなら今まで自分がやってきたことが、この状況下ではまるで役に立たないと思ったからです。だから自主的に、主体的に、何か新しいことを始めなくてはいけないと考えました。
誰も待っていない活動を勝手にやっている
InterviewersのFacebookページを立ち上げたとき、アクセス数が30人くらいだったんですよ。誰も見てない・・・みたいな(笑)。だけどそれが逆に面白いなと思いました。私が今までやってきたCM制作はクライアントからこの人に依頼すれば大丈夫という信頼と期待があって成り立っていたので、誰にも期待されてない活動をやっている自分というのがとても面白いと感じました。それからは他人からどう思われるとか、そういう評価が恐くなくなりました。誰も待ってない活動を勝手にやっているので、精神的にも強くなれたのかもしれないですね。ただInterviewersを始めた時から、これは世の中のニーズが確実にあると思いましたし、なによりも私自身が「これは面白い!」と思ってやっていた活動だったので、そういう根拠のない確信が故に、それを信じてやっていました。
―ソーシャルな活動の面白さはどういったところでしょうか。
震災のあと、映像で何かできることはないか自分でいろいろと調べていました。その中でボランティアとして東北の復興支援のプロモーションビデオを制作することになりました。そこで映像の新たな可能性に気づき、人と人とをつなげる映像活動をやってみたら面白いのではないかと思い付きました。そうして小さなカメラを購入し、インタビューを撮ったのがInterviewersの始まりです。
私がビジネスとしてやっている商業映像(CM)も誰かに影響を与えるとか、気持ちを変えている可能性はあるけど、その規模が大きすぎて人々の気持ちの変化がダイレクトで伝わってきませんでした。一方で、ソーシャルな映像の場合はその変化というのが完璧に私へと伝わってきました。
例えばFacebookにインタビュー映像を載せたときに、インタビューの相手から「新井さん、素敵な映像をありがとう!」と言われたり、投稿に「いいね!」がついたり、誰かがその投稿をシェアして他の誰かのコメントがついていたりする。そうやって映像をみた人の気持ちの変化が見えるようになりました。そういうところに生きがいというか、やりがいを強く感じています。そういった意味ではソーシャルな映像を作ることは自分の喜びのためでもありますし、インタビューした人に感謝されることとか、1万人、1千人という規模ではなく、1人でも2人でも喜んでくれたらと思っています。1人の人の気持ちを変えることができるっていう面白さが、ソーシャル映像の場合はあるのかなと。
なにより、私自身がさまざまな活動をされている人たちと知り合えるのもすごく楽しいですね。
複数のフィールドを行ったり来たりしている
―多くの社会人の方は1つの仕事だけをするイメージがあるのですが、新井さんの場合は複数の活動を同時進行で行っているような印象を持ちました。
インタビューで得たことをCMにフィードバックして、逆にCMで感じたことをインタビューにフィードバックする。そうやってお互いの活動にプラスなことを還元し合っています。そういうバランスを保つことで2つが成立していますし、もちろんその時によって時間を使う割合の大小関係はありますが、基本的にはどっちかがメインという意識はなくて、私にとっては2つともメインですね。
映像をソーシャル化するという使命
―最近動画アプリなども増えて、気軽に映像撮る人が増えたように感じます。
そうですよね。例えば私が80、90歳のおばあちゃんになっても難なく映像を作れるとか、より多くの人がクリエーターになる時代がやってくるのではないかと思います。最近さまざまな映像活動を行っていく中で、映像をもっとソーシャル化するという私の目指す場所がようやく見えてきました。映像がソーシャル化するというのは、要するに今まで映像製作をしたことがない人たちも映像を作るようになっていって、そういった文化が多くの人に広まっていく。そうして裾野が広がっていくと、その上にある商業映像のクオリティーも引き上げられて、全体的にものすごく活性化すると考えています。これからは写真やテキストだけではなくて、映像によるコミュニケーションもどんどん増えていくと思いますし、そうしたニーズにはできる限り応えていきたいと思っています。
―新井さん、ありがとうございました。最後に、ご自身の未来予想はどのように描かれていますか。
漠然に言うと、すごく豊かな人脈に囲まれて、わいわいと楽しくおばあちゃん生活を過ごしていけたらいいなと思っています。映像を撮る若い世代の人たちをサポートしていくのか、おばあちゃんになっても自分で撮るのかわからないですが、そういった未来も描いています。
新井博子(あらいひろこ)
1970年 :東京都生まれ
1993年 :女子美術大学芸術学部卒業 同年、CM 制作会社(株)パラゴン入社2008年3月 :フリーランスのCM ・広告映像のディレクターとし独立。日立/キユーピー/ヤマザキナビスコ/明治乳業/ユニチャーム/他多数 などのCMを手がける。現在もCMディレクターとして活躍する傍ら、映像を用いたソーシャルな活動を行なう。
2011年7月〜8月:東北の復興イベント『ONE BALL PROJECT』PVのボランティア制作
2011年10月:人と人とを映像でつなげる活動『interviewers』を始める。 様々なフィールドで活動する人たちのインタビュークリップを作成し、掲載。→interviewers
2013年4月:PVプロボノを立ち上げる。映像制作のスキルで社会課題を解決する非営利活動。→PVプロボノ
インタビューを終えて(学生記者:おかみゆ)
好きなことに忠実、かつ新しいことにも敏感で、興味を持ったら即行動というスタンスがとても印象的でした。私は数年後どんな職に就いているのかわかりませんが、1つに職に囚われることなく、柔軟に動けるような社会人になりたいとインタビューを通して改めて思いました。 また、新井さんの気さくでいて決して飾ることのない人柄に触れて、心温かな気持ちになりました。私もハングリー精神を忘れずに頑張ろうと思います。新井さん、そして運営メンバーの皆さん、本当にありがとうございました!
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